
薫子の中では、亡き母は、まだ生きている。
10才の時亡くなった、薫子の優しくて、躾に厳しくて、いつも一緒に居て、いつも薫子と遊んでくれた母。
10才で亡くなるまでの母の記憶は、薫子にとっては、とても鮮明でどれも忘れる事が出来ず覚えている。
その薫子の記憶の全てを今、まるこに伝えているところである。
鉄棒が出来ず、母が公園に薫子を連れて行き、一生懸命薫子に鉄棒の仕方を教えてくれた母。
テレビを見ながら、母と一緒にキャンデーズの春一番を振りつきで歌った事。
母は、梓みちよの二人でお酒をの歌が大好きで、いつも梓みちよが歌っていると、口ずさみ、二番は梓みちよが、ステージに座り胡坐をかいて歌っていた。流石のお嬢様だった母が、何と胡坐をかいて歌っているのだ!
余程、この曲に深い想い出が重なったのであろうと薫子、最近気付いた。
母も、女だったのである。
又、薫子の誕生日には、友達を呼んで誕生会をしたものだが、沢山のおかずを綺麗に盛り付けてくれて作ってくれた。
薫子は、海老フライが今でも大好物なので、必ず海老フライは作ってくれていた。
食事をして、ケーキを食べて、ちょっとトーンが下がると母が盛り上げてみんなを笑わせてくれていた。
薫子が、学校に行ってる日に内職で洋裁を仕立て上げたものを従姉妹の達の店に持っていくのだが、ここから遠く薫子は、鍵っ子であった。
でも、百貨店で色々薫子に買ってきてくれたりした。
ある時は、薫子ちゃんが欲しいだろうなあと思って買ってきたのよといってくれたり、バーゲンの時は、広告を見せて、薫子ちゃんこの色のバックと、こっちとどっちが良い?と聞き買ってきてくれたり・・・。
又、父と母と家族で百貨店に行く時は、いきなり薫子ちゃん、この鏡と、こっちとどっちが良い?と聞いて気に入った方を買ってくれたりした優しい母だった。
薫子の着る洋服は、殆ど母が縫ってくれたものであった。
浴衣、着物のアンサンブル今でも取っていて、浴衣は、去年まるこに着せた。
又、薫子が友達と家や庭で遊んでいると、たまにみんなと一緒に遊んでくれて、母は、薫子の友達から人気があった。
かと思いきや、躾にはもの凄く厳しい人だった。
靴の脱ぎ方、スリッパの脱ぎ方、又トイレでのスリッパの脱ぎ方まで、いちいち口煩いほど叱られた。
食事の食べ方、薫子は癇癪持ちでまるこは、実は薫子の遺伝なのだが、癇癪を起した後のお説教ったらなかった。
泣きわめいて、暴れるのだから落ち着いても、まだ涙がしゃくりあげているのにくどいほどのお説教タイムだった。
小さい頃、悪い事をしたら母からお尻を叩かれていた。
叩くとこは、決まってお尻だった。
年が大きくなると、叩かなくなった。
その代わりに、お説教タイムである。
後、挨拶は、ちゃんとしなさいと言われ、何処何処のおばちゃんから薫子が良く挨拶してくれるって誉めてくれてたわよと。
そのお陰で、今の薫子があるのである。
母の厳しい愛の躾に、今では心から感謝である。
又、薫子は、母が亡くなるまで母と毎日一緒にお風呂に入り身体から、髪まで洗って貰っていたのである。
しかも、シャンプーは、美容室式で・・・。
実を言うと、コッパズカシイのだが母が生きている間、薫子お嬢様だったのである。
その上、クラスの男子の話を薫子が良くしていたようで、ある時お母さん、宿題教えて!というと母は、○○君に電話して聞いてみたら?と言うのである。
流石、薫子の母、鋭い薫子の好きな男の子の名前を母は、言ったのである。
薫子、まるこの好きな子教えてくれない限り分からないもの。
母の生後100日目からの写真からお嫁に行くまでの写真が古いアルバム一冊ある。
それを見ながら、色々想いにふけっていたことが良くあった。
今は、アルバムは、滅多に見なくなった。
母の事を昇華したのであろう。
しかし、薫子にとっては、唯一無二の只一人の心から愛する母である。
想い出話をまるこに話し、まるこは千代子おばあちゃん大好きである。
そして、まるこから、まるこの娘へと母の思い出話が少しでも残り、こういう人が居たという事を忘れさせないでほしい薫子であった。